アナと雪の女王 - Frozen - 映画解説と考察

この映画不況な時世にハイスコアを叩き出したアナと雪の女王。思わず観てしまったので感想をしたためてみようと思う。

アレンデール王国の王女・エルサは、凍らせたり雪や氷を作る魔法の力を持っている。カメハメ波みたいに雪を飛ばしたりできるんだな。私のビールも冷やしてほしいもんだ。

八歳になるエルサは、ある夜、妹のアナに誘われて夜中の火遊びならぬ氷遊びをしていた。はしゃぎまくるアナが足を滑らせ、エルサは助けようと魔法で作った雪を発射するが、アナの頭に誤爆。アナは一気に意識不明の昏睡状態。

二人の両親であるアレンデール国王とその妃は、昏睡状態に陥ったままのアナを助けるため、トロールたちの所に行く。トロールは、ここでは石の妖精で、背が低くゴロゴロしている。トロールってこんなんだったっけ?
そこにみなしごのクリストフが遭遇する。

不幸中の幸いで、アナはトロールの族長かなんかがかます魔法で回復した。だが二人で遊んだりした楽しい思い出以外の記憶、つまり魔法に関する記憶は残せなかった。
こういう交換条件はディズニーに限らず、おとぎ話のいいところだと思う。
魔法を忘れさせる、ことで、ストーリーが複雑になるのだ。魔法を忘れたことで、エルサは魔法を使えない、話すことが出来ない、言ってはいけない、というしばりがエルサを苦しめていく。一方、アナはエルサと遊びたいだけなのに、近づけてもくれない理由がわからなく、アナもまた苦しめられる。この葛藤が物語を豊かにしているのは言うまでもないか。
さて、エルサはなぜ氷の魔法でなければならないか?心を閉ざす心境とラップさせるために脚本で組まれた舞台設定である。魔法が火でも石でもよいことはよいのだが、魔法のことを言えないエルサの心境は氷かな。原題のFrozenは邦題の「アナと雪の女王」とはかけ離れている。フローズン、なにが?と思う人もいるかもしれないから「アナと雪の女王」っていう分かりやすいやつにしとこうよ、という日本配給会社の手練手管な命名師かなんかにつけさせただけのものだろう。しかし原題の方が優れているのは、一語でエルサの心を表しているからだ。
フィッツ・ジェラルドの短編作品に氷の宮殿(野崎孝訳)という美しい物語がある。女が氷で出来たアミューズメントの宮殿の中で体験する場面がいいストーリーだが、これもまた女の心境を当てたタイトルになっている。
※氷の宮殿で思い出したが、緑茶という映画と氷の宮殿の双方に触れたことのある人の中で、何か感じた人はいなかっただろうか。余談すぎるからこんどしっかりと話してみよう。

年を負うごとに魔法の力が強くなっていくエルサは、かわいそうに引きこもり生活を強いられる。もし国王の娘でなかったら単なるニートだが、最近では引きこもりでも才能のある引きこもりに焦点を当てる試みがあるようだ。東大などが先導でやっているという。

アナは、なぜ姉が引きこもりになり、自分を避けるようになったのかすら、理由もわからない。はっきり言ってほっといてやったほうがいいのだが、幼いアナにはわかるわけがない。

その10年後、そのかわいそうな二人は旅行に出掛けた両親を、事故で亡くしてしまう。ひどい親だ。自分達だけで旅行なんかにいくもんだから、バチが当たったのだ、などとは思わない二人。健気な姉妹は涙を誘う。だが始まったばかり。まだ泣いてはいけない。

その3年後、エルサは成人し、女王へ即位する。13年間もの長い間、閉ざし続けていた城の門を、戴冠式の一日だけ開くことになる。
さあここから悪者たちが登場だ。
招かれていた他国の王子ハンスと一発で恋に落ちたアナは、二人で上機嫌に歌いまくり、結婚の約束までしてしまう。婚約を知ったエルサは、嫉妬のあまり、二人の結婚に猛反対する。嫉妬とは思わない学派もいるだろうが、エルサは一人取り残されてしまうのだ。嫉妬と言わずしてなんと言おうか。また、両親が死んでしまった振りがここで効いているのも注目だ。イタズラに殺したりはしないのだ。

エルサはアナと口論になる。まあ、兄弟喧嘩だな。猛烈にカンカンのエルサは思わず、公衆の面前で魔法を暴走させてしまう。
しまった!
エルサはそう思ったに違いない。
やばい!
自分の力を知られたエルサは、魔女扱いをされ、王国から逃げださなければならなくなる。西洋で魔女扱いされるというのは、魔女狩りで知られる差別色が濃い歴史があり、我々日本人には理解しがたいセンシティブな問題がある。作品中、魔女と言ったかどうかは覚えていないが、魔法を使う女であることから、恐れられる対象であろうことは想像できる。実際であれば張りつけにし、そのまま火炙りして殺す、とかの展開もあり得るだろう。

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