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プロット

ハーレムもの
ハーレムものとは、一人の男性キャラクターに対し、数多くの女性キャラクターが恋愛対象として対置されている設定のフィクション作品を指す。 男女比が逆で一人の女性キャラクターに多数の男性キャラクターが恋愛対象として対置された作品を逆ハーレムと呼ぶこともある[1]。逆ハーレムの設定は、テレビドラマや妄想系のケータイ小説[注 1]・ドリーム小説によく見受けられる[2]。また、男性同性愛を題材としたやおい・ボーイズラブ作品において、他の男性キャラクターに対して常に「受け」(受動的・女性的な役割)を担う男性キャラクターを「総受け」と呼ぶが、このキャラクターが全員から好かれている状況を逆ハーレム状態と呼ぶ場合もある[3]。

どんでん返し
ストーリー展開におけるどんでん返し(どんでんがえし)は、小説や映画の中で用いられる技法のひとつである。
大方の読者や視聴者の予想を大きく裏切ったり、一旦終結したかに見えたストーリーを大きく覆したりするような結末が用意されているものが典型である(この種の結末の付け方は、英語ではsurprise endingにあたる)。芝居を途切れさせることなく大規模な舞台転換を短時間で行う歌舞伎のどんでん返しから転じて名付けられた。どんでん返しはエンディングに限らず、次々に事態が変遷し、推測、推理が何度も覆されていく様態を意味する場合もある。

御都合主義
「御都合主義」という表現は、物語の展開に関して用いる場合は、それまでの設定や伏線を無視し、強引な後付設定やでき過ぎた偶然などを用いることで、製作者側に都合よくストーリーを進行させる技法を指す。特に十分な伏線、因果関係、合理的説明が準備できていないと、物語の盛り上がりを損ない、場をしらけさせ、それまでの流れを台無しにする、として、これを批判する言葉として用いられることが多い。
ただし因果関係や合理的説明にこだわると話が面白くなくなると言う面もあり、芥川龍之介は『侏儒の言葉』においてこれに近い趣旨のことを記述している。
一般的には御都合主義は否定される立場にあるが、官能小説やアクション映画など御都合主義が許容(あるいは黙認)されるジャンルもある。

紋中紋
紋中紋(もんちゅうもん)は、主に芸術作品において、あるモティーフ(または主題)の中に、同じようなモティーフが入れ子構造で入っている表現・手法をいう。フランス語ミザナビーム(Mise en abyme. 「深淵の状態にすること」といった意)の訳語。原語の語感とはかなり隔たりがあるが、ここでは便宜的に「紋中紋」に統一する。
文芸批評における紋中紋は枠物語の一種である。外枠のストーリーが枠物語の何かの面を内に含むように使われた場合である。紋中紋という語は脱構築および脱構築文芸批評において、言葉の間テクスト性の性質の理論的枠組みの中で使われる。つまり、枠の中の枠である言葉が他の言葉に言及し、その言葉も他の言葉に言及し……のために、言語が現実の基盤に決して到達しないということである。

クリフハンガー
クリフハンガー(英:cliffhanger or cliffhanger ending) とは作劇手法の一つである。

信頼できない語り手
信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、信用できない語り手、英語: Unreliable narrator)は、小説や映画などで物語を進める手法の一つで、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである。

落ちもの
ストーリーの導入部分において、平凡な主人公のもとに魅力的な異性が突然現れるところから物語が始まるというもの。その後、しばしば主人公と同居することになる[1]。この偶発的な出会いは「まるで空から落ちてきたかのように」発生するものであるが、宇宙人や神、悪魔、天使、魔法使い、未来人など異世界の住人が「実際に空から落ちてくる」場合が多い事に由来する命名である。ボーイ・ミーツ・ガールの派生パターンのひとつであり、恋愛を基調とするかそれに類する要素を含むものである。

夢オチ(ゆめオチ、夢落ち)とは落ちの一種で、物語の最後に「それまでの出来事は、じつはすべて夢だった」という結末を明かして終わること。

劇中劇(げきちゅうげき、英: Story within a story)は、劇の中に挿入された劇。物語や小説では作中作と称する。劇の中でさらに別の劇が展開する「入れ子構造」によって、ある種の演出効果を生むためによく使われる技法。

フラグ(Flag)とは旗を示す英単語であるが、ここで扱うフラグは小説・ドラマ・漫画・アニメ・シミュレーションゲーム等のストーリーにおいて、後に特定の展開・状況を引き出す事柄を指す用語である。

マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)とは、何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。

デウス・エクス・マキナ(Deus ex machina, Deus ex māchinā)とは演出技法の一つであり、ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」を意味する。一般には「機械仕掛けの神」と表現される。

燻製ニシンの虚偽(くんせいニシンのきょぎ、英語: red herring)は、重要な事柄から受け手(聴き手、読み手、観客)の注意を逸らそうとする修辞上、文学上の技法を指す慣用表現。

枠物語(わくものがたり、英語:frame story, frame tale, frame narrative)とは、より小さな物語を埋め込んだ入れ子構造の物語のことである。

チェーホフの銃
ストーリーの早い段階で物語に導入された要素について、後段になってからその意味なり重要性を明らかにする文学の技法。この概念は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフに由来している。チェーホフはこの概念を様々な形に展開して、手紙の中で言及していた。チェーホフ自身は、『ワーニャ伯父さん』でこの原理を利用しており、早い段階で一見ありふれた小道具として舞台に持ち込まれた拳銃が、劇の終盤に向かうにつれ、重要なものとなり、ワーニャは怒りに駆られて拳銃を掴み、殺人を犯そうとする。
チェーホフの銃は、伏線の手法のひとつと解釈されるが、この概念は「ストーリーには無用の要素を盛り込んではいけない」という意味であるとも解釈できる。チェーホフの銃のルールを守らない作品は、プロットの穴(英語: Plot hole)を論じる際に批評家に引用されることになりかねない。
チェーホフの銃という表現は、ストーリーに持ち込まれたものは、すべて後段の展開の中で使わなければならず、そうならないものはそもそも取り上げてはならないのだ、と論じた、アントン・チェーホフ本人の言葉に由来している。

イン・メディアス・レス
イン・メディアス・レス(ラテン語:In medias res or medias in res、「物事の中途に」の意味)とは、物語を最初から語る(アブ・オーウォー Ab ovoまたはab initio)代わりに、中途から語りだす文学・芸術技法のこと。登場人物・舞台設定・葛藤は一連のフラッシュバックもしくは過去の事件に関係する登場人物を通して紹介されることが多い。おそらく起源は口承で、叙事詩では慣例だった。ホメーロスの『オデュッセイア』、『イーリアス』に使われている[1]他、ポルトガル文学では『ウズ・ルジアダス』、ドイツ文学では『ニーベルンゲンの歌』、インド文学では『マハーバーラタ』、フィンランド文学では『カレワラ』が「イン・メディアス・レス」で始まる。ウェルギリウスの『アエネイス』はホメーロスを模倣したもので[1]、トルクァート・タッソの『解放されたエルサレム』、ジョン・ミルトンの『失楽園』、ダンテの『神曲』地獄篇がそれに続く[2]。

メタフィクション
メタフィクション (metafiction) とは、フィクションについてのフィクション、小説というジャンル自体を批評するような小説のこと[1][2]。メタフィクションは、それが作り話であるということを意図的に(しばしば自己言及的に)読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する[3]。要するに、小説や漫画の登場人物の台詞で「これは小説(漫画だから)」などの発言を指す。メタフィクションの自己言及の方法には、例えば小説の中にもうひとつの小説について語る小説家を登場させたり、小説の内部で先行作品の引用・批評を行ったり、小説の登場人物を実在の人物や作者と対話させたり、あるいは作者自身を登場人物の一人として作品内に登場させる、といったものがある[4]。
メタフィクションの傾向ないし機能は潜在的にはあらゆる小説に多かれ少なかれ存在していると言えるが[5]、古典文学における典型的な例としては、語り手が自分の語る物語の脱線について絶えず弁解をおこなうロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』が挙げられる[1]。現代小説における実践としては「あなたはいまイタロ・カルヴィーノの新しい小説を読み始めようとしている」という書き出しではじまるイタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』などが挙げられ[1]、ポストモダン小説はその多くがメタフィクションの傾向を持っている[1]。

三幕構成
三幕構成(さんまくこうせい、Three-act structure)は、脚本の構成である。三幕構成では、ストーリーは3つの幕 (部分) に分かれる。それぞれの幕は設定 (Set-up)、対立 (Confrontation)[3]、解決 (Resolution) の役割を持つ[4]。3つの幕の比は1:2:1である[5]。
幕と幕はターニングポイントでつながっている。ターニングポイント (プロットポイント) は、主人公に行動を起こさせ、ストーリーを異なる方向へ転換させる出来事である[6][7][8]。
一般に、映画の脚本は三幕構成になっている。国際的には、映画は三幕構成のモデルに基づいて制作されている[9][10][11][12]。三幕構成のモデルは、小説[13][14]、コミック[15]、ゲーム[16][17]、テレビドラマ[18]、およびドキュメンタリーなど他の分野にも応用される[19]。
三幕構成の枠組は1979年、映画に共通して見られる基礎として、シド・フィールドによって理論化された。フィールドの教本 Screenplay: The Foundations of Screenwriting[注釈 1] は、世界22カ国語以上に翻訳され、数回の改訂を重ねている[20][注釈 2]。

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