RED LIGHT レッド・ライト 映画解説

マーガレットの死

マーガレットはこのストーリーの中盤でいきなり死んでしまう。もしかするとこれも大どんでん返しのフォーシャドーイングなのだろうか、などと思わされた人も多いはずだが、彼女はすんなり死んでしまって、その後の復活はない。この大胆さにもの足りなさを感じる人もいるかもしれないが、所詮、主人公はキリアン・マーフィー演じるバックリー。シガニー・ウィーバーという大御所のネームだけを取り払えば、恩師の死などは大して珍しい展開でもない。あっけなさだけで陳腐だと思い込んではいけない。マーガレットはここで死ななければならないのだ。
では、シナリオ上でのマーガレットの死はなにを示しているのだろうか。そして彼女の本当の死因はなんなのだろうか。

マーガレットがバックリーの母親である路線の読みはまたここで沸き上がってきた。バックリーの彼女への入れ込みようと来たら、ただの助手と教授のそれではない。恋人か親友か。あるいは家族か親族か。バックリーのショックの受け樣からするとそういった親密な間柄にしか見えない。しかし恋人というのは突飛だし、親友というのもちょっと馴染まない。崇めている師、というのが相応しいか。まるで バックリーの反応は、 母親に対するようなものにさえ見えてきて、私は母親でもいい話になりそうだと思っていた。母親であるないにしろ、おそらくバックリーの感情は本物の「母親への同情」というものだったのではないだろうか。後述するが、バックリーは、母親としてのマーガレットに伝えなければならないことがあったのだ。それは最後に語られる全てなのだが、ここでは結論には焦らずに、慎重に読み進めてみたい。
とはいえ、母親であるなんて微塵もストーリーには出てこない。ではなぜ バックリーは、あれほどまでにマーガレットの死に反応したのだろうか。

・バックリーにとって、マーガレットは自分の追い求めている問題を解決してくれる唯一の手だてだからか

・マーガレットに責め立てるような物言いで接したのがバックリーにとって最後の言葉となってしまったからか

・バックリーの能力でマーガレットを殺してしまったからか(!)

・バックリーはマーガレットを愛していたからか

・バックリーはマーガレットがバックリーへ好意を持っていたこと知っていたからか

わからない。私にはどれもありだと思えてくる。母親説を据え置いた今、特に飛躍しているバックリーが
マーガレットを殺してしまった説
を私は推してみたい。

マーガレットだけではない。あの三十年前にも死んでしまったジャーナリスト、窓に飛び込んでくる鳥、そういったこのストーリーに出てくる謎の死はバックリーを原因にして片付けるのが一番スムーズだと思っている。
ジャーナリストの死を除けば、全てバックリーと関連がある。マーガレットの発作が起こったのは、バックリーがサイモン・シルバーの公演中にパニックを受けた直後だった。大学の窓に飛び込んでくる鳥の死は、マーガレットが死んだことを知らせるかのようなタイミングだった。バックリーの自宅に飛び込んでくる鳥の死は、バックリーが妄想を見ているときの出来事だった。実験のトリックを見破るためのビデオ操作を興奮するバックリーが説明しているときにも鳥は飛び込んできた。
バックリーには鳥を引き寄せる力があったり、テレキネシスで心臓を止めたりする力があるのだろうか。いや、あるはずだ。しかもバックリーにはその力をうまくコントロールできないときている。
先だってカチア・ノビコバの映像を、大学の授業中に流していたが、カエルの心臓を止めるシーンが強調されていた。これは超能力が生死に関わる力だと暗示しているかのようだ。スプーンを曲げても人は死なないし、テレキネキシスで物を動かすとしても小さい移動だけで、それらがイコール殺人兵器とは普段は思えない。だが実際に超能力が存在するとしてみよう。超能力の一番の用途は殺人になるのではないだろうか。

ここで話を逸らさせてもらう。
超能力者は存在するのだろうか、そしてそれは何者なのか。答えはイエスである。あくまでこの映画内での話ではあるが。カチア・ノビコバが超能力者かどうかはわからないが、バックリーは存在している。バックリーが登場するまで「超能力者が存在しない証明」は悪魔の証明だった。だがバックリーの出現で存在が証明されてしまった。バックリーが死ぬまで、超能力はインチキではなく、自然現象の一部となるのだ。そもそもバックリーはいつ生まれて、いつ死ぬのだろうか。もし彼がキリストのように復活が可能な存在ならば、ある意味不死身だし、もしかすると、ずっと死ぬことがなく古代から生き続けてきた人間なのかも知れない。バックリーが救世主ならばあり得る話だ。飛躍しすぎているかもしれないが、西洋で信じられている能力者というのはそんなものだ。

重ねて言わしてもらえば、キリストとは救世主を意味する言葉であって、ナザレのイエス(いわゆるキリスト様)だけのことではない。つまり、キリスト教というのは救世主の降臨を待望しているという宗教であると言っても過言ではないだろう。そう、この映画は、救世主が現れるか否かの間で常に揺れ動くお話であるわけだ。
サイモン・シルバーは偽物か、マーガレットはその嘘を暴けるか、同時に信仰をなくしてマーガレットは生きられるのか、天の国があることを少しでも信じさせてくれる何かがあってほしい、バックリーは最後に能力を示した、マーガレットにこの能力を見せてやれればよかった、安心して逝けたはずだろうに、でも俺は救世主なんかじゃない、誰も救うことなんてできないのだから。
という裏表がひっくり返り続ける、葛藤の映画なのだ。これは面白い。そして全てが『イエスが実在したことを証明できれば天国の存在を証明できる』という命題の元にストーリーが構成されていることが次第にわかってきた。今、もう一度、バックリーは何者なのか、と問うてみてもやはり答えは"イエス"である。バックリーはイエスに代わって、天国の存在を証明できる生き証人であるとこの映画では描かれているからだ。

マーガレットの死とジャーナリストの死

話を戻せば、バックリーはマーガレットの心臓をも止めたのではないだろうか。これこそ飛躍しすぎているが、バックリーの悔しがりようからすると、死そのものよりも、何らかの失敗を痛く悔しがっているようにも見えないだろうか。バックリーは力をコントロールできないことも含めて、時として人の命をも奪い取るようなこともあるのか。いや、飛躍しすぎている。オッカムの剃刀を思い出せば、発作は発作で、病気を病気として捉えるのが正しいはずだ。正しい視点。それはこのシーンのどこにあるのだろうか。いやいや、あのジャーナリストが死んだときも、バックリーはもっと昔から生きていて(三十年前というとバックリーは幼児とかのはずなのだが)、ジャーナリストもバックリーのコントロールできない力によって命を奪われたのではなかろうか。ダメだ、考えすぎだ。ジャーナリストが写る写真が出てくる場面を静止して血眼になって探してもバックリーらしき姿はどこにもなかった。

思い出してみれば、バックリーは母親を胃ガンで亡くすとする例をオーエンに話したのではなかったか。母親。バックリーにとって母親というのは人並み以上のものがあるに違いない。やはりバックリーが殺してしまった説はお蔵に入れて母親説を押したほうが良さそうか。

そんな私の病的な心配症は異常だが、素で見ている観客には走る想像を止めることができないように作られている。

サイモン・シルバーに本当の力はない。だが強運が味方についている。
「なぜ運命はサイモン・シルバーの望むような方へと向かっていくのか。偶然をもコントロールするならば彼はまさしく神ではないか」
この時点では、観客はどんなに考えを巡らしても、サイモン・シルバーの強運とカリスマから、視野を広げることができない。あの劇場という舞台装置はペテン師にはうってつけの道具であることが思い知らされる。観客の全員が同じ方向を向き、ペテン師はエコーが効率よくかかるように設計された場内で神秘的な言葉を羅列していく。集団というのは恐ろしいもので、そこにいる半数の人間が信じてしまえば真実になる民主主義が採用されやすい。実際、占い師は千人に当てずっぽうを言っても、その数割に偶然でも当たってくれればそれでいいらしい。その当たった人たちが『あの人は当てる!』と勝手に宣伝していってくれるのだそうだ。珍しい奇病になる確率は百万分の一と云われると当たりっこないと安心するくせに、LOTO6が六百万分の一と云われても当たるのではないかなどと都合よく考える人間だ、当たった、という時に膨らむ期待のインフレーションはどでかく、当たらなかった時のことなどは数えもしなければ覚えてもいない。そんないい加減な人間たちが集まってきている劇場は、一度にペテンがかけられる都合がいい空間といえる。映画館もまるで同じような空間に見えてきてしまいそうだ。

3 Replies to “RED LIGHT レッド・ライト 映画解説”

  1. 初めまして。
    映画レッド・ライトの考察楽しく読ませていただきました。
    映画は全般的に好きなのですが、特に本作のような作品が大好きでDVDを探しては何度も見返しています。
    ですが、鈍感な為二度三度見てもなかなか理解できない事が多くもやもやする事ばかりでした、
    以前、大好きなD.リンチ監督のマルホランド・ドライブを見た後、どうしても理解に苦しんでいた時
    たまたま、こちらのような考察を読み、それから映画の楽しみが何倍も膨れ上がりました。
    それからはドニー・ダーコやメメント、オープン・ユア・アイズなど何度も見返しては自分なりに推理して楽しんでいます。
    まだ見ていない傑作がたくさんありますので、これからも色々と紹介していただけたらと思います。

    • コメントありがとうございます。
      映画って本当にいいですよね。
      この映画は表面的なトリックで観衆を翻弄しているんですが、多重レイヤーな伏線があるように見せていて、実は解説したようにシンプルな幹に枝葉がついたものだったりしますね。
      その罠にかかって推理していくのはとても楽しかったです。

      私も鈍感です。なので何度も見返します。この何度も見返したい、っていう映画に出会うと興奮しますね。そうするとわからなかったことが見えてくる。疑問が見えてきたらメモして、昔の映画に似たシーンがなかったかと思い巡らせてと、やっているととっぷりと日がくれていきます。
      マルホランド・ドライブではどこかの精神科医の人の解説が好きでしたね。あれには影響受けています。マルホランド・ドライブはあの解説で精神的な病み付きにさせられましたよ。
      あまり話題ではないですが、ロドリゴ・コルテス監督繋がりで「emergo apartment 143」の映画も傑作ですので、是非です。

  2. […] ※同ロドリゴ・コルテス監督作品「レッド・ライト」の考察もしてみました。 […]

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