映画「emergo Apartment 143」 エメルゴアパートメント143 解説と感想

●消去法

ベニーを祖父に預けて、もし現象がおさまればベニーに原因は関係するし、おさまらなければベニーが原因でもなければベニーの世話にケイトリンが苦悩しているわけではないと可能性を消去する検証を行う。だがその真の目的は「ベニーがいなくても現象が続いた方が良い」というヘルザーの言葉にもあるように、もっと深い原因に迫るための検証でもあった。
その夜行われた実験ではチャネリングをする降霊術師を呼んで霊とコンタクトをする試みが行われたが、やはりケイトリンに異変が起きてベニーを原因とする可能性は完全に吹き飛ばされてしまう。霊が乗り移ったケイトリンが父親を責めたて、父親を投げ飛ばすなどの危害を加える。
この修羅場の中、ヘルザーは平静を保ち続けるが、そのほかの人間はみな興奮して取り乱してしまう。どんなに前知識があったとしても幽霊を前にして焦らないわけにはいかない。しかし落ち着きを必死で保とうとするヘルザー博士は、確信があるかのようにじっと耐えている。映画に見られるヒロイックなキャラクター設定から精神的タフな役割を演じているだけではなく、この映画から受けることのできる「真の恐怖とはなにか」をこの辺からも嗅ぎ取ることができそうだ。

これでケイトリンが原因であることは間違いなくなり、あらゆる可能性があった時点から急速に解明へと近づいていく。
ヘルザーの消去法は成功したが彼には真に喜ばしいことと言えるのだろうか。
ヘルザーにとっては幽霊よりももっと複雑怪奇で取り扱いが難しいものがあるようにも見えてくる。
ヘルザーが恐れるとすればそれはイタズラ好きの幽霊たちのことではない。およそそれは、人間や、人間と人間の間で発生する心理のことではないだろうか。それを検証するためにもう少し解体を進めるとしよう。

ついでだが、祖父(シンシア方か?)がベニーを迎えに来たとき、祖父が仕方なしにベニーを連れていくシーンでは、祖父が自身の妻の介護をしなければならないのに、何を頼んでいるかわかっているな、と愚痴りながら出ていく。昨今問題化している老老介護の苦悩もチラリと付け加えられている。老介護、幼児の世話、思春期の娘、片親、そういった人知れず家庭内で起きている苦痛こそがこの映画のサブテキストにもなっている。

●妻の死因から

ヘルザーは妻の死因について父親にたびたび迫るシーンがある。

「そこが極めて重要だ」

とも言い、

「それを話すかはあなた次第だが」

ともつけたす。アランは聞かれたことには濁して答えず、
「精一杯やっている、どうしていいかわからない、妻のシンシアが霊になにかをさせているんじゃないか、娘とうまくやるのは難しい、妻がいてくれたらと心で助けを求めている」
などと答えるだけだ。なぜ言えないのかは終盤でわかることなのだが、ヘルザーはドアを跨いだときからすでに娘と母親の死が関係していて、見終わってから振り替えるとアラン自身から告白をさせようと立ち回っていることがよくわかる。
エレンとポールから最初の夜に

「現象は娘と共鳴しているのでしょうか」

と質問を投げ掛けられたヘルザーもまたはっきりとは答えない代わりに、

「子供には珍しくないことだ、激しく親に反抗することは思春期の欲求の現れだ、理解できない感情から反抗という形で現れることもある、死に向かってしまうこともある、誰もがそんな反抗なんかには関わりたくないと思うだろうが、彼女はしかたのない反抗期なんだ」

とやんわりと現場の主たる状況を話す。父親のことに関する質問もうまく逸らして、怪奇現象についてはワンステップずつやっていこうと言っただけだった。チームにさえもあからさまには事の次第を明かさず、自己治癒を引き出すために答えを急がない。科学者ヘルザーの優しい一面をうまく作り出している。
しかし、結局ヘルザーはアランにシンシアの死について強く迫る。とうとうアランは語り始める。

「シンシアは淫乱になり、狂ってしまった、薬物療法も無理矢理やらせたが甲斐がなかった、彼女は家にも男を連れ込んだ、それをケイトリンが見てしまって、私は浮気相手を必要以上に殴り倒し、それから彼女を一度だけ叩いてしまった、ケイトリンは母親を傷つけないでと叫んだ、私はケイトリンとベニーを連れて行く当てもなく車を走らせ続けた、やがて夜中に警察に見つかって、シンシアの死を聞いた、車で木にぶつかって…。」

ヘルザーはこの事情を警察の調査書によって断片的にわかっていたようだ。

「娘さんを医者には見せましたか?」

なぜだ?という返事をしたアランにヘルザーは

「母親は統合失調症にかかっていた、娘さんもまた統合失調症にかかっています。」

と答えたその瞬間、ケイトリンが部屋の入り口で立っていて、またしてもとりつかれている。エレンは監視カメラで子供部屋に寝ているケイトリンを確認した。では部屋の入り口にいたあれはなんなのか。
ここからは映画的クライマックスへと続くのだが、注目はクライマックスよりもこの父親の告白だ。
彼の告白で全てが白日の下にさらされ、ケイトリンではなく、ケイトリンを介している幽霊が爆発的な反抗をする。ケイトリンは母親を死に追い詰めたのは結局父親だと思っている。母親を喪失したショック、家庭内でかかる負担、父親を暴力的な人間だと思い込んでいること、そしてなによりも『思春期で目覚める性』と淫乱であった母親との重なりが強い反発を生んでしまったのだ。尋常ではない怒りと失意と恨みと発育とが合わさって爆発的な念力が一点に集中し、現象を引き起こした。引越しをしてもそれは止まないわけだ。ケイトリンの誤解を解かなければ、あるいは思春期が過ぎるのを待たなければ、ポルターガイスト症候群は止まらない。だがアランにはどうやって娘に淫乱な母親のことをうまく説明し、殴ってしまったことを弁解すればいいのだろうか。我々が考えるだけでも簡単にはいかないし、大人にとっては思春期の子供ほど理解に苦しむ対象もなかなかない。かつては自分自身も反抗期を経て大人になっているのにも関わらず、理解することができないのは不思議だが、どんな反抗期であっても、成長と時間が解決してくれることを期待して大人は優しく見守るしか方法はなさそうだ。あるいは、真実を話して、母親と君とは違うのだ、と根気よく説得することもひとつの手だろう。しかしどんな人にとってもこういった複雑なことを簡単に解決できるわけではない。
そんなホワイト一家をヘルザーは優しさによってこの家族の状況を俯瞰し、また科学的に検証しながらもところどころでこの家族にとっての一番いい解決までの道のりを模索してくれている。
この映画はホラー映画かもしれないが、どちらかというと「『理解し得ないこと』を理解してみる」という試みのヒューマンドラマでもある。幽霊について、反抗期の真っ只中にいるティーンエイジャーの女の子について、不運からか全てがうまくいかなくなってしまった家長である父親について、超自然的な不可解なことからよく目にするが解決の難しいことなどなど。これらのことを理解し解決するには相当なエネルギーを要するが、身近にある問題にあなたの視線をポイントオブビューさせるような力がこの映画にはあるのだ。
●ケイトリンの心理

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