ゼロ・グラビティー 意味 映画解説

犬の話

断っておくが私は完全に猫好きであって、この章で犬好きを擁護するような、あるいは犬好きを推進するようなことはしたくない。しかし結果としては犬好きを擁護する形になってしまうかもしれない。でもここの章だけゆるしてもらえればと今では遠くで暮らすあの猫を思いながら願う。

ライアンがSOSを出していたAM無線で拾ったのは犬の声だった。ロシア製ソユーズと犬の声と聞いただけで多くの人がスプートニクを思い出しただろう。スプートニク計画では2号にライカ犬を乗せて生物宇宙実験が行われた。もしその辺りのことがわからなければ、Wikipediaとか映画「マイライフアズアドッグ」を観るとかして触ってみてほしい。間違っても村上春樹のスプートニクの恋人を読んだりしてしまわないように。スプートニクとは関係ないので。

ライカ犬は「クドリャフカ」という名前がつけられていたという。クドリャフカとここでは呼ぼう。実験に使われた犬はクドリャフカだけではない。他にも多数いるが、すべてが実験中に死んだわけでもない。このクドリャフカというメス犬は死んでしまったうちでも有名なだけ、よかったのかもしれない。いや、犬にとって有名であるかどうかなど、喜びや意味があるのだろうか。そして宇宙飛行など、どんだけの意味があるのだろうか。ない。
しかし人類には意味があった。宇宙空間で生物がどれだけの耐性があるのかを、人間が試す前に知る必要があったからだ。
さて、犬はその絶望的な状況下で、自害を考えたりするだろうか。しない。懸命に生きようとするだろう。クドリャフカが実際どのようにしてこの世を去ったのかはわかっていないようだ。すぐに死んだともあれば、数日生きたとかもある。どれでもいい。彼女が生きることを諦めたのかどうか、ということが重要である。ライアンは途中、諦めと死をセットにしたバリューミールを選ぼうとした。だがそこに赤子の声が聞こえ、希望を持ち直せなくなった。それではダメなのだ。犬のようにただただ生きようとしなければ。死の恐怖よりも生きることを諦めることの恐怖を教えてくれている。

人間とは弱いものだ。地球上で一番賢く強いように見えるが、単にずる賢いだけだ。その弱さ故に信仰は必要だったし、優しさを育むことができたのだとも思う。
ライアンが諦めて死を選ぼうとした直前に犬の声が出てくる理由はこんなことからだろうと私は思った。

恐らくこの映画を作った人間たちは犬好きのはずだ。単に好きなだけでなく、敬意があり、宇宙映画を作る段階で犬の登場を組み込んでいたに違いない。もちろんあのライカ犬と呼ばれているクドリャフカへの敬意、またはその他すべての犬たちへだろう。

2 Replies to “ゼロ・グラビティー 意味 映画解説”

  1. 初めまして。映画ランナーというブログで好き勝手に映画レビューを書いている者です。

    『』ゼロ・グラビティ』のレビューをお褒め頂き、誠にありがとうございます。本人の知らないところでこのように言って頂けたことに正直ビックリしております。

    大変嬉しかったです。

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