映画解説 クロニクル

映画『クロニクル』は、おそらく日本漫画の実写化に初めて成功したと言える作品だろう。日本のアニメにおけるスペクタクル(視覚的に強烈な印象という意味で)を再現することができている、という意味でだ。

クロニクルは、公表されている通り漫画「アキラ」から影響を受けている。うだつの上がらない主人公(アキラではテツオに当たる)が、超能力を得て、暴走し、親友と対決する。途中死んでしまうスティーヴはアキラで言うところの山形か。検査衣で戦うシーンなんかままパクりだが、そんなことはどうでもいい。重要なのは、この映画で描かれている戦闘シーンや超能力の表現力だ。少年たちが空を飛ぶシーンなんかはドラゴンボールを思わせるところがある。またビデオカメラを浮遊させて自撮りするシーンなんかもアキラでのアキラが石ころを宙に浮かせているシーンに重なる。戦闘シーンはキン肉マンやセイントセイヤ、ドラゴンボールなどで育まれた超人的な破壊力を見ることが出きる。

こういった表現がアメリカには無かったのかというとそうではなく、かつては日本に輸入されていたアクションへの感覚が、日本の八十年代辺りから変化を遂げ、独自のものに進化していった、と私は考えている。

アクション表現の古くはスーパーマンや、殴られたネズミやなんかが壁に当たると、大の字の穴が開くというようなレベルから、アニメでしかできないとされてきたような表現はあった。
しかしアラレちゃんで破壊力の上限はなくなり、ドラゴンボールでは宇宙戦争にまで発展した。アキラでは宇宙がもうひとつ出来上がった。80年代でアニメはスケールを増したと思う。

こうしてみると鳥山明の持ち味には破壊力が付きまとうのかもしれないよね。私の個人的な好みでいけば、日向小次郎のタイガーショットこそ最強だと思っている!

力の表現

力の表現でいけば、特にドラゴンボールとアキラは群を抜いて進化した。カメハメ波は画期的だった。気合いという不可視なものが可視化された。そして可視化された気合いの玉で、攻撃することが出きるのだ。また元気玉は地球上のチリのようなエネルギーを集めて可視化した。
漫画やアニメでは力そのものを可視化するためにいろいろな工夫をしてきた歴史がある。赤塚不二夫の漫画でよく見かけられた足が何個も残像になって描かれる。ジャコモ・バッラなんかを引き合いに出すのは古くさいかもしれないが、赤塚不二夫の何十年も前からそれを試した未来派の画家はいた。平面芸術ではあらゆる手段を使って力やスピードを表現してきたのだ。映画ではもはや、そんな工夫よりもリアリティのある描写で力を表現できるようになった。CGの技術はもはや犯罪級だ。だが、高いレベルの技術力をもってしても、スペクタクルへの概念が成熟していないと、つい、いつまでたってもディズニーアニメの基本動作の繰り返しになりがちになる。

スピードや力をどうやって表現するか。その追求は常にアップデートされていなければならないことなのだ。なぜなら時代自体が加速をしているからだ。

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